子守唄研究室
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ねんねこ通信

タイトル:ねんねこ通信51号
日付:2011/8/27(土)

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 ねんねこ通信 51号  2011.8    http://komoriuta.cside.com/
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◎目次

●人生設計ー東日本大震災に思う

●秋田県の子守唄

●コラム−田沢湖と八郎潟

●編集後記

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◆人生設計ー東日本大震災に思う
 3月2日は私の70回目の誕生日です。これまで5年ごとに「次の5年間は何をし
ようか」と考えたことが、曲がりなりにも計画通りに出来て、生きてこられました。
そして今年「何を・・・」と考える前に、あの震災が起きたのです。これまで何度か
あった災害でも、自分をその場に置いて考えたことはありませんでした。
 日本列島は地震の多い地形であることは分かっていましたが、百年や1千年ごとに
過去に起きた大地震の教訓が、ほとんど生かされていなかったこともあるようです。
 災害にあわれた方々の人生設計を狂わせてしまった自然災害に人災も加わって、明
日のことさえ自分で決められない不幸を思うと、表現する言葉がありません。

 私のこれからの過ごし方は・・・欲張りすぎて、何もまとまっていません。
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◆秋田県の子守唄

 とんとん隣の竹松コ  水汲みながらも長話
 ちょっと行ってちょっと来(ケ)ばなんのことねえ
 ねんねこねんねこ ねんねこせ
 ねんねこねんねこ ねんねこせ

 研究リポートで「子守りは何処へ行ったか」にも書きましたが、子守り以外にも色
々な用事をしていました。この唄のなかの子は水汲みに行って、仲間とおしゃべりを
していたのでしょう。子守り達の息抜きでもあったようです。

 向かいの婆(バンバ)たちお茶飲み御座い
 鬼いて行かんなり しいしとぼって そんでも行かんない
 烏の羽根くれろか あんまり黒くて行かんない 
 雀の羽くれろか あんまり小さくて行かんない
 鳶の羽くれろか あんまり大きくて行かんない
 新し船さ白帆かけて 
 誰どこ可愛い 誰さまを可愛い そんなら往こうや
 井戸の端の茶碗欠け危ない

 ぞんこぞんこ曳けば 隣の婆コ 欠けた椀コ持って来て
 うっぷかっぷ呑んでしまった
 よいしょなっしょ しっぺり かっぺり 食ってしまった
 
 「茶碗が欠けた」ということはどんなことを意味しているのか分かりませんが、婆
たちが茶飲み話に花を咲かせて、何かの理由をつけて他の用事で呼ばれても動こうと
しないので、孫の用事を口実に呼ばれたのでしょうか。「そんなら往こうや」と。

 こんこん寺のこん僧コは 木通(アグビ)の殻コ見つけて
 跳ねやがって取るどって ころもの袖コ切いらして
 婆やばばや縫ってけれ 暇ねえでや小僧や
 今朝の法事(ヅセヤコ)なんで食った
 一にからから 二に山椒 三にささげ 四に凍み豆腐
 五に牛蒡(ゴンボウ) 六に大根 七に椎茸
 八に牛尾菜草(ヤチヒデ)九に栗コ 十に唐芋ん
 これぞ坊主食い物だ
 
 お坊さんの食べ物について、数え唄風にうたっています。精進料理のようですが、
ヤチヒデとはどのような野菜なのでしょうか。調べましたが分かりませんでした。

 上(カミ)がら上がら 鐘はぽんと鳴って来る
 下がら下がら 鐘はぽんと鳴って来る
 あまり見だいさに まったぐ松子に 帷子(カタビラ)借りに行ったれば
 あんども無いどて 貸さねえや
 早く春になって呉(ケ)ればよい 麻種子三升ぶち蒔いて
 三つ葉になるどけ たぐって りうご晒にさらして
 まったぐ松子に貸すまいぞ
 
 帷子は絹や麻で作られたひとえの着物です。昔はすべて自家製でしたから麻を育て
て糸に績み、機で織り着物に仕立てなければなりませんでした。
 この子は鐘が鳴っていることの次第を知りたくて、出かけるための着物を借りに行
ったら断られてしまい、それなら自分で種から育てて着物を作り、松子が借りにきて
も貸さないぞ、と言っています。着る物を新調するなんて、めったな事ではないので
(正月か薮入りの時など)晴れ着(外出着)の貸し借りがあったのでしょう。

 最後に民話にまつわる唄を一つ。
 
 おら家(エ)のはしごは 一個と二個で三個だ
 二個と三個で五個だ 十個ずつ十(トウ)だば百個だ
 百個ずつ十だば千個だ 千個ずつ十だば万個だでよーよ
 おら家のつぼの石(エシ)は 籠(カゴ)さ紙張った石で
 風吹けば 飛ぶじゃよーよ

 昔話があります。長者の家で賢い婿を探すために、はしごを沢山置いて、その数を
当てさせ大石を持ち上げるようにとの問題を出しました。若者が現れ、子守が唄って
いるこの唄によって問題を解決し、めでたく長者の婿になったということです。
 「メデタシメデタシ」といったところでしょうか。
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◆コラム−田沢湖と八郎潟
 田沢湖畔にある「辰子像」にまつわる伝説(民話)があります。辰子は美しい娘で
した。その美貌がいつの日か衰えるであろうことを心配して、何とか若さと美しさを
保ちたいと願い、観音様に百夜の願掛けをしました。観音様は山深い泉のことを教え
てくれました。その泉の水を飲んでみると、いくら飲んでも喉の渇きは収まらず、い
つのまにか辰子は竜の姿に変身してしまいました。仕方なく辰子はこの泉を広げて湖
とし、主として暮らすようになったところが田沢湖です。辰子の母がここを探し当て
この事実を悲しみ、別れ際に投げた松明が水に入ると魚の姿になりました。これが田
沢湖のクニマスの始まりだとされています。別名は木の尻鱒(きのしります)とも。

 十和田湖に住んでいた大蛇の八郎太郎は、南祖坊(なんのそのぼう)という男と十
和田湖をめぐって争い負けてしまったので、日本海附近まで来て天瀬川をせき止めて
八郎潟を作りました。彼はいつしか辰子に惹かれ、毎冬田沢湖へ通うようになりまし
た。主が半年の間いなくなる八郎潟は年々浅くなり、主の増えた田沢湖は冬も凍るこ
となくますます深くなったのです。
 いつしか時は流れ、八郎潟が開拓された今では、八郎太郎は一年中田沢湖に住んで
いると言われています。

 田沢湖のクニマスが絶滅したのは、水力発電所建設の関係で、強酸性の水が大量に
流入したためです。昨年、山梨県の西湖で再発見され話題になったことは、皆様の記
憶に新しいことだと思います。
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◆編集後記
 このところ気になることがあって、物事が先に進みにくくなってしまいました。自
分の心の弱さを痛感しています。「がんばれーー 私!」

 50号で変換ミスがありました。コラム欄の9行目「消費量日本一は福島県」と書
くべきところを「・・日本位置・・」としてしまいました。すでに皆様はお気付きだ
とは思いますが、お詫びして訂正いたします。
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