子守唄研究室
研究室へようこそねんねこ通信子守唄リンク集
研究リポート書き込み掲示板TOPページへ
ねんねこ通信

タイトル:ねんねこ通信105号
日付:2020/8/29(土)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ねんねこ通信 105号 2020.8  http://komoriuta.cside.com/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎目次

●新型コロナウイルス(その4)

●いま戦後75年に思う

●コラム−与謝野晶子

●編集後記
============================================================================
◆新型コロナウイルス(その4)
 少しは落ち着いてくるかと思っていたのですが、ますます拡大の気配が濃厚です。
世界中のニュースで取り上げられていますから記載しませんが、世の中には色々な考
えを持った人がいるものだと…。簡単には終焉しそうにありませんね。
 ※お詫びと訂正
 「しばらくは 離れて暮らす『コ』と『ロ』と『ナ』 つぎ逢ふ時は『君』という
字に」と前号で書きましたが、『君という字に』の「う」は「ふ」でした。
 「しばらくは 離れて暮らす『コ』と『ロ』と『ナ』 つぎ逢ふ時は『君』といふ
字に」です。失礼しました。 
============================================================================
◆いま戦後75年に思う
 日露戦争に出征した与謝野晶子が弟を思って詠んだ「君死にたまふことなかれ」は
戦争に反対する平和の歌であると言われていますが、たんに弟の無事を案じた個人の
歌なのかもしれないとも言われています。
 
◎君死にたまふことなかれ(旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて)
 ああおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ
 末に生まれし君なれば 親のなさけは まさりしも
 親は刃ヤイバをにぎらせて 人を殺せと をしへしや
 人を殺して死ねよとて 二十四までを そだてしや
 
 堺の街の あきびとの 旧家をほこる あるじにて
 親の名を継ぐ君なれば 君死にたまふことなかれ
 旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ
 君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり
 
 君死にたまふことなかれ、 すめらみことは、戦ひに
 おほみづからは出でまさね かたみに人の血を流し
 獣の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは、
 大みこころの深ければ もとよりいかで思オボされむ
 
 ああおとうとよ、戦ひに 君死にたまふことなかれ
 すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは、
 なげの中に いたましく わが子を召され、家を守り、
 安しときける大御代も 母のしら髪は まさりぬる。
 
 暖簾のかげに付して泣く あえかにわかき新妻を
 君わするるや、思へるや 十月トツキも添はで わかれたる
 少女ヲトメごころを思ひみよ この世ひとりの君ならで
 ああまた誰をたのむべき 君死にたまふことなかれ。
 (弟は無事生還し、1994年63歳で亡くなりました)
 
◎覇王樹と戦争(大正3年-1914年-第一次世界大戦勃発)
 シャボテンの樹を眺むれば、芽が出ようとも思はれぬ
 意外な辺が裂け出して、そして不思議な葉の上へ 新しい葉が伸びてゆく。
 
 ああ戦争も芽である、突発の芽である、
 古い人間を破る 新しい人間の芽である。
 
 シャボテンの樹を眺むれば、生血に餓ゑた怖ろしい
 刺ハリの陣をば張って居る。傷つけ合ふが樹の意志か、いいえ、あくまで生きる為。
 
 ああ今、欧州の戦争で、白人の悲壮な血から
 自由と美の新芽が ずっとまた伸びようとして居る。
 
 それから、ここに日本人と戦つて居る。
 日本人の生む芽は何だ。ここに日本人も戦つて居る。
 
◎一九一八年よ(大正七年-1918年-第一次大戦終結)
 暗い、血なまぐさい世界に まばゆい、聖い夜明が近づく
 おお、そなたである、一九十八年よ、わたしが全身を投げ掛けながら
 ある限りの情熱と期待を捧げて この諸手をさし伸べるのは。
 
 そなたは、−−絶大の救世主よ−−  世界の方向を  幾十万年目に
 今はじめて一転させ、 人を野獣から救い出して 
 我等が直立して歩む所以ユエンの使命を  今やうやく覚らしめる。
 
 そなたの齎モタラすものは 太陽よりも、春よりも、花よりも、
 −−おお人道主義の年よ−−  白金の愛と黄金の叡智である。
 狂暴な現在の戦争を 世界の悪の最後とするものは 必定、そなたである。
 
 わたしは三たび そなたに礼拝を捧げる。
 人間の善の歴史は そなたの手から書かれるでらう、
 なぜなら、−−ああ恵まれたる年よ、−−
 過去の路は暗く塞がり、 唯だ、そなたの前のみ輝いて居る。
 
 彼女の戦争観の一端が垣間見られます。第二次世界大戦の終戦から75年、日本は武
器による戦争こそありませんでしたが、平和であったかというと、そうとも言えない
出来事が、それぞれの身にあったのではないでしょうか。考えさせられます。
============================================================================
◆コラムー与謝野晶子
 1878年(明治11年)〜1942年(昭和17年)大阪府堺市の和菓子屋の老舗「駿河屋」
の三女として生まれました。歌人、作家、思想家として活躍した人です。
 1901年に「みだれ髪」を発表し、ロマン派の歌人として一躍有名になりました。
 1904年「君死にたまふことなかれ」を発表し、1911年史上初の女性文芸誌「青鞜」
創刊号に「山の動く日きたる」ではじまる詩を寄稿しました。この詩は女性政治家の
活動によく使われました。
 1901年与謝野鉄幹と結婚し、12人の子どもを産みましたが、一人は生後2日で亡く
なっています。子育てしながら創作活動に情熱を燃やしていました。
 1924年に発表した「母の歌」があります。
 ふたおやの愛の心は 等しくて差別なけれど、
 その愛の姿のうえに おのづから母ぞ異る。
 
 女にて母とならずば 如何ばかり淋しからまし。
 女なる身の幸ひは 母となり初めて知りぬ。
 
 生むことは聖なるわざぞ、母ひとり之をなすのみ。
 神の子といわるる人も 母の血を浴びて生まれき。
 
 男らは軍イクサに出でて 人斬りし道なき世にも、
 をさな児に乳房を与へ、かき抱き歌ひしは母。
 
 母なくば人は絶えけん、 母ありて人の生命イノチは
 つぎつぎに新たになりぬ、 美しくやさしくなりぬ。
 
 今の世も男ごころは おしなべて荒く硬かり。
 正しきに導くものは 母ならで誰か能ヨくせん。
 
 願わくは母の名に由り、 地の上の人を浄めん、
 富む者の欲を制せん、戦ひを全くとどめん。
============================================================================
◆編集後記
 私が子守唄に興味を持ったのは、女性史の学習をして地域の高齢者から聞き取り調
査をしている中で「子守り」の話が出てきたからなのです。聞き取り時(1989年)か
ら80年くらい前(大正の始め)のことです。地方の農家から子守り奉公に来ていたの
です。幼児労働で男子はお寺や商家に丁稚奉公、女子は子守りや行儀見習いという奉
公がありました。今回は尊敬する与謝野晶子さんのこと(一部)を紹介しました。

 毎年の事ですが、梅雨明けに植物たちのために日除けを付けました。年毎に気温が
高くなるような気がしています。このメールの校正をしている時、安倍総理の辞任表
明のニュースが入ってきました。健康が理由だそうです。お大事に。
============================================================================
このメールの配信を今後希望されない方は、お手数ですが、次のURLから配信中止の
手続きをお願いします。
http://komoriuta.cside.com/nenneko/koudoku.html
----------------------------------------------------------------------------
●子守唄研究室

・ホームページアドレス
http://komoriuta.cside.com/
・メールアドレス
komoriuta@cside.com

============================================================================

<<次の号 前の号>>


戻る