子守唄研究室
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ねんねこ通信

タイトル:ねんねこ通信125号
日付:2023/12/23(土)

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 ねんねこ通信 125号 2023.12  http://komoriuta.cside.com/
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◎目次

●新年の行事

●子守唄のはじまりは?

●コラム―福井県立恐竜博物館

●編集後記
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◆新年の行事
 新しい年を迎えるにあたり、昔から色々な準備が行われてきました。「年神様」を
迎えるために家中を掃き清め、しめ縄・門松・輪飾り・鏡餅などを供えます。
 新年を寿ぐハレの日の食事「お節料理」は地方によって違いがありますが、祝う気
持ちは同じです。屠蘇トソを飲み邪気を祓い、家族の繁栄を祈念します。お節料理の食
材には、子孫繁栄・五穀豊穣・健康長寿・文化学問教養を高めるなどの願いが込めら
れています。
 遊びとしては「羽根つき」「凧あげ」「コマ回し」「カルタ取り」などあります。
♪もういくつねると お正月  
 お正月には凧あげて こまをまわして遊びましょう
 はやく来い来い お正月
♪もういくつねると お正月  
 お正月にはまりついて おいばねついて遊びましょう
 はやく来い来い お正月    作詞―東くめ  作曲―滝廉太郎
 7日の七草粥では1年間の無病息災を願い、「ななくさなずな 七日の晩に 唐土
の鳥が 日本の土地に わたらぬ先に 七草なずなを手に摘みいれて ほうっとっと 
ほうっとっと」二本の包丁で七草をたたきながらうたいます。唐土の鳥が七日の晩に
悪い疫病を持って日本に来るといけないので、七日の朝のうちの七草粥を食べておこう
、という意味です。(唐土とは中国を意味しますが、今は国外からの、でしょうか)
 年始回り、鏡開きや小正月などの行事もあります。書初めもありますね。 
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◆子守唄のはじまりは?
 人類が地球上に現れてから子育てが始まりました。皆様の子育て中を思い出してみ
てください。子守唄をうたいましたか。それはどんな子守唄でしたか。

 1772(明和9)年に刊行された民謡集「山家鳥虫歌」に、次のような子守唄が収め
られています。
    勤めしょうとも子守はいやよ
    お主にゃ叱られ子にゃせがまれて
    間に無き名を立てられる   (志摩地方)
 18世紀後半には労働としての守り子達があらわれ、子守奉公と守り子唄が歌われ始
めたのであろうとみることができます。しかしこれは家事労働として、兄や姉達に課
せられたもので、年季奉公としての子守りではなかったと考えられます。
 それ以前の記述では、イエズス会の宣教師として35年間にわたり日本で布教活動を
行っていたルイス・フロイスが「ヨーロッパ文化と日本文化」の中で「日本ではごく
幼い少女が、ほとんどいつでも赤児を背に付けて行く」と書いています。(16世紀末)
その時、子守唄を唄っていたかどうかは書かれていませんでした。

 「ねんねん」は「寝ん寝ん」の原形から始まったもので全国的に広まっています。
「ネンネ」という響きは、幼児を眠らせるための「催眠の暗示」であるとも言われて
います。古くは「寝いれ寝いれ」となっており、眠らせ唄として用いられていた例が
鎌倉時代末の「聖徳太子伝」に記録があります。
  寝いれ寝いれ小法師 縁の縁の下に むく犬の候ぞ
  梅の木の下には 目きららのさぶらふぞ
  ねんね法師に緒をつけて ろろ法師に引かせう
  ろろ法師に緒をつけて ねんね法師に引かせう
  御乳母は何処ぞ 道々の小川へ襁褓ムツ濯スマしに
  ねんねんねんろろろ 梅の木の下には 目きららのさぶらふぞ
 脅し言葉が唄われています。なかなか寝つかずむずかる子は、いつの時代でも親は
苦労しますね。

 子守りが社会的に要求された時期は、江戸時代の末期から明治時代にかけてです。
商品経済(商業)が発展した結果、商業的・高利貸し的な資本が農村にまで侵入し、
自給自足経済から貨幣経済へと変わっていく時に、貧富の差が拡大し、貧しい者はよ
り貧しく、富める者はより裕福になってきました。そこで必要になったのが安い労働
力でした。このようにして窮乏農民の子供達が、不幸にも幼くして働く場を与えられ
たのです。「食い扶持」を求めて「口減らし」のために、中流以上の農家や商家に奉
公に出されたのです。男子は丁稚・小僧として、女子は子守り・走り使いとして働か
されることになったのです。この他に、明治維新後の徹底した堕胎禁止によって人口
が急速に増加したため、子守りに対する需要も増えたと考えられます。
 子守唄が広く唄われるようになったのも、子守達の存在が大きかったと思います。
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◆コラム―福井県立恐竜博物館
 先日、ツアーでこの恐竜博物館に行ってきました。リニューアルされた館内は広く
、地下1階から地上3階まであり、大人でも楽しく学べる施設でした。
 138億年前、宇宙は「ビッグバン」と呼ばれる大爆発によって誕生しました。その
後「超新星爆発」をおこし星が誕生し、太陽系が誕生したのは今からおよそ50億年前
です。地球が誕生したのは約46億年前、生命らしきものが現れてから三畳紀の半ば約
2億3000年前に恐竜が生まれました。その後大量絶滅するまでおよそ1億6000万年間
も繁栄していました。ここには恐竜の全身骨格が50体展示されています。そのうちの
10体は実物の化石を使ったものだそうです。目の前にある大きな骨を見ると、本当に
この巨大な動物が、この福井に生息していたのか疑ってしまうほどの驚きを覚えまし
た。 しばしタイムスリップして、恐竜の世界を楽しんできました。
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◆編集後記
 今年こそは明るい話題だけで終わらせたいと思っていたのですが、ロシアのウクラ
イナ侵攻に終わりが見えず、イスラエルとハマスの戦闘も解決のめどがたっていませ
ん。また気候変動の影響か、洪水や干ばつによる災害などあげれば限がありません。
 国内では社会や政治腐敗の問題も多くありますね。
 
 我が家の正月の準備は何もしていませんが、お節料理の予約だけは早々と済ませて
あります。ここ数年、お正月に作るのはお雑煮だけです。・・・お体ご自愛下さい。
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